2022年の沖縄返還の日を前に、若泉敬の事を思い出した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/若泉敬
僕「父上、若泉敬を随分と尊敬して居られますがどのような方でしょう?」
父「ああ、若泉さんは俺の認識ではではこうなる。佐藤栄作内閣の時だ
沖縄返還の大事業の時。
若泉さんは佐藤栄作の密使として、ニクソン政権期の国家安全保障問題担当大統領補佐官、国務長官のキッシンジャーと対峙した。
つまり相手はニクソン。
日本とアメリカ。お互い納得ずくの話なのか?
核兵器も引き上げてもらえるのか?
日本は核兵器の残留を甘受した。
米ソ冷戦の時代だ。
日本を守るためだ。
仕方が無いと言えるだろう。
だが、彼の思いとしてはこうだ。
『日本とアメリカのお互いの喉元に突き刺さったままの棘が抜けなかった。
核兵器を残したまま。
沖縄県民に申し訳ない。』
自決を覚悟したそうだ。
沖縄県知事に太田っていてな。
彼にも直接聞いたんだが、若泉さんが沖縄に来た時、大田は何かがおかしいと感じた。
そして若泉さんにはやはり自決の覚悟があると悟った。
そこで大田は刃物を隠したり、徹底的にガードしたりした後にこう言ったそうだ。
『若泉さん。貴方間違っている。沖縄県民は貴方を恨んだりはしていない。だから俺たち沖縄県民は涙ながらに、全力で若泉さんを守るんだ。』」
僕にはちょっと何も言えない時間が来てしまいました。
目頭が熱くなり、喉が痛かったです。。。。。
それでも何かが物足りなくて父上に聞いてみました。
僕「父上がハーバードにいた時に若泉さんにお世話になったと聞いたことが有りました
が?」
父「ああ、冷戦後の世界を設計した極めて優れた外交家がいてな。名をジョージ・ケナンと
言う。
で、若泉さんがジョージ・ケナンとの時間を何回か作ってくれた。
『熊谷君、12時までにどこそこにすぐ来るように!』」
俺は相手が相手だからガチガチに緊張してしまってな。若泉さんはケナンに『こいつ普段は乱暴者ですが』と場を和ましてくれたよ。」
僕にとってジョージ・ケナンはまだ評価が定まっていません。
そこで。
僕「父にとってジョージ・ケナンとは?」
父「朝鮮戦争もベトナム戦争も彼が来たらアメリカ大統領だって戦争を止めざるを得ない。
あのチェイニーだってそうさ。」
僕「あの時の父上の相手ですね?」
<あの時>
https://www.sankeibiz.jp/macro/news/170917/mca1709170933002-n1.htm
こんなチャンスはないと思い、僕らしくもなく更に父上に突っ込んでみました。
僕「父上。
一つ、お聞かせ願いたい。
ジョージ・ケナンはマルクスの共産主義を(ここでは一旦、怨念めいた汗牛充棟の連中
が自分の世界観に反する意見は何でもそして暴力を持ってしても攻撃する党派と認識し
ておいていて下さいませ。)倒した男と言えますか?」
父は満面の笑みを浮かべて頷きました。
さて、全く関係ないようで全て重要に有機的に絡まっており、僕にとっては本当に大切な話です。
即ち、僕がこの20年間、精神も肉体もすり減らしながら『苔の一念』で挑んできた僕としての『理念』として人間と地球の共存のためでなければと言う思いで選んできた、所謂『人間として生きる為の』本業としての職業・仕事の話です。
ジョージ・ケナンは大統領自由勲章を受勲しています。
僕はその受勲者の中に、僕のカミさん以外のFemaleで物凄く敬愛している方がいます。
ミルズ先生は父を反米主義者と勘違いしていたと父は苦笑していました。
ミルズ先生は熊谷弘に仰いました。
「Mr.kumagai,エネルギーはストックですよ。」
今、幸運にも僕はミルドレッド先生の薫香の元に、環境や食の自立・保全・安全だけでなく、エネルギーの自立・保全・安定、そしてそのストック。。。。。
そう。。。。
持続可能な社会へ目指してのモノ作りの仕事に携わることが出来ています。
理念を掲げつつもリアリストの自負は有ります。
詳しくは僕の思いも含めて、、、、、
乞うご期待!!
でも、この話をろくでなしの学者まがいの人の話は抜きにしてミルズ先生はこう言う人だよって
カミさんにして Wikiの写真を見せた時に、違う人種の方を見てのありがちな話だけど
カミ「で、こいつは男か?女か?」と聞かれ
「嗚呼、本当に人に伝えたいことを伝えたい人に伝えるって難しい」と
膝からカックンきたので、約束は出来ない。
、、、、泣いたよ。
コメント