2018年の事です。
仕事の関係で10億単一市場と言われる中国の市場を見据えエネルギーのストックや消臭関連のマーケティングで外部にお願いした方がOさんです。
Oさんにはまだ小さいお子さんがいまして、ある日事務所に連れてらっしゃいました。
その名は、まー君。
昔チワワを飼っていたOさん曰く、うちのヌコのにゃすーに会わせに来たとの事。
仕事の打ち合わせをしている間、まー君を放し飼いにします。
まー君「ねこちゃーん、ねこちゃーん。」
探し回る、まー君。
遠慮ねえな。
だから子供は苦手なんじゃ。
でも苦手でも嫌いでは無い。
ミーティングしている部屋にとぼとぼとまー君が戻って来ます。
まー君「ねこちゃんいない、、、、」
すまない、まー君。
あいつが本気で隠れたら誰も見つけられんのだ。
子供が来ると鉄板で消える。
それがにゃすーだ。
理由は分からない。
猫のにゃすー
子供か。
僕には子供はいないが、、、、
18世紀にジャン・ジャック・ルソーが子供の発見をして以降、子供の人権等の概念が生まれたと言います。
僕は偉大な発見と理解しております。
人権とか子供の概念を贅沢品と仰る方が見受けられますが、本当にそうだと思います。
喜んでその贅沢を享受したいです。
かつて、レアメタル・レアアース関連の仕事に携わっていた時に都市鉱山と言われるリサイクルが一気に広がりはじめ、その実態を知るべく発展途上国を回っていた時に酸で溶かした貴金属を比重で分ける筈の分別にその国の子供たちが生き延びるために、また、安い労働力として自らの指と舌で分けているのを見てしまったトラウマも有ります。
涙ちょちょ切れたよ、あの時は。
さて、仕事の話が終わりOさんもまー君も帰るため玄関を出掛かって時。
にゃすーが颯爽と現れ、玄関の前のカーペットで横になりました。
やるな、にゃすー!
流石、僕のソウルメイトと呼ばれるだけはある。
僕「まー君、ねこちゃん出てきたよ。この猫がこうやってゴローンて横にな
る時は撫でって合図だよ。
まー君にまた来てねって挨拶しているんだ。
オジサン、ウソつかない。」
その時、世にも素晴らしいことが起こった。
にゃすーを見たまー君の目が驚きと感動、命に対する畏敬の念で見開いていき、息を飲んでいます。
にゃすーを見て、なでなでを忘れています。
何ちゅう、素晴らしい子だろう。
この子は恐らく初めて身直に動物を見たのだ。
そして、相手が友好的ゆえに感動している。
命が何たるか、人間として大切なものをこの子は生まれ持っている。
僕のガキンチョの頃と大違い。
僕がまー君に感動。
僕「まー君、にゃすーを撫で撫でしてあげて。にゃすーはそれが嬉しいんだ
よ。」
まー君が震える手をにゃすーに伸ばします。
ワシャワシャワシャ!
いかん!横からOさんが犬を撫でる勢いでにゃすーをワシャワシャしてしまった。
僕の心配をよそににゃすーはOさんを冷たい目で見ながらもまー君に撫でられるのを根気よく待ってくれました。
後日、再びOさんがまー君を連れて来てくださり仕事の打ち合わせをしていました。
まー君はにゃすーと遊んでいます。
Oさん「ウチでも新しくチワワを飼い始めたんですよ。」
そこへ、まー君ダダダと走って登場。
まー君「チワワじゃ無い!ロングコートチワワ!」
まー君と暮らしていくロングコートチワワさんの未来は明るい。
写真はイメージです。
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