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朝の日課でFTを読んでいましたら
「うっ!」
と一瞬なってしまった記事がありました。
Opinion Innovation
‘Grief tech’ avatars aim to take the sting out of death
Anjana Ahuja
『「グリーフテック」の台頭により、残された人々が死者とより生き生きと交流できるようになる日が近いかもしれない。HereAfter AIなどの企業は、生きている人の「レガシーアバター」を作り、死後に呼び出して遺族を慰めることができるようにしようとしている。これらのパーソナライズされたチャットボットは、生前に提供された情報をもとに、その人の人生に関する質問に答えることができるのです。
故人のデジタルレガシーを単に保存するだけでなく、AIによる悲嘆の支援という流れは、結果的に死者の追悼の方法を再構築することになるかもしれません。』
複雑な感情を抱いてしまったので、近場の方々の感想も伺う事にしました。
M博士の所感。
題意であるオピニオンイノベーションにおいて、レガシーアバターを作り、生前に提供された情報をもに、その人の人生に関する質問に答えることができるチャットボットと記載されていると思います。
その上で、チャットボット(会話型人工知能)ができるアバターがあることで、人の死の痛みを和らげることを目的としていると記載されていたかと思います。
ここから感想になりますが、興味深い記事だと思いました。
ただ、本当にそのアバターがあることで、人の死の痛みを和らげることができるか疑問に感じました。
加えてそのアバターの必要性について疑問を感じました。
仮に画面越しに生前の人の姿を映し、その画面越しから質問者からの質問に対して答えるものとしますと、ディープラーニング技術等のAI技術によって、その人の生前の情報からその人の意識まで投影できるのか、その人の思考パターン、しぐさ等どこまで生前の人の姿を再現しているくれるのか、その点が技術的なポイントでないかと思いました。
将来的には生前の人の姿と変わりなく、本当に当人と話している形なると思いますが、現時点ではまだ無機質な形ではないかと思いました。
T君の所感。
「グリーフ テック」という概念を初めて知りました。
死後もアバターを通じて繋がりあえるという試みは素晴らしいと感じましたが、それにとらわれてしまい、前進できなくなるという可能性もあるようにも感じました。
亡くなった方の功績などにつきましては、アバターよりもデータや書類などの形で残っているほうが良いと個人的には感じました。
笹渕さんの所感。
一言、気持ち悪い。それだけです。
人の死を、弄んではいないでしょうが、それを利用して話題を振りまく、何かに利用する。
僕の価値観には全くそぐわないです。
そりゃあ、現世に残された者からしたら、寂しい、つらい、会いたい、甘えたい、抱きしめない、etc様々な感情があろうかと思います。
しかしそれを、現代科学を(敢えてこう書きますが)悪用して、さもその人が話している、助言をしているような”バーチャル”を作り出し、その人がいつまでもそこにしがみつき、前に進む事が出来なくなるその様な状況を作り出すこと、(それを止めることなど出来ないでしょうから)僕はそこから一線を引きたい、離れたいと思います。
ここには書かれてないと思いますが、AIを活用して、生前その人が話したこと、書いたことをインプットすることにより、未来の新しい(生前に知る事が出来なくそれに対しての知見、アプローチがない)ことに、さもその人がそう考えた事を装い、仮にそれが人(もっち言えば国)の指針になる様な事が発生した場合には、その時こそ、人類の進歩は止まる(または今とは比べようもないとんでもない格差が生じる)ことになるかと思います。
繰り返しになりますが、そこまではここに書かれていませんが、これが進むと、そういう議論になり、事象が発生すると思います。
それが気持ち悪くてなりません。
三者三様、戸惑って見えます。
ぶっちゃけ、私も似たような感じでした。
この記事を書くにあったて、一応『グリフーフテック』とか『グリーフアシスト』『グリーフケア』とは、なんじゃらほい?と思いネットで軽く調べましたら、
グリーフケアとは?
グリーフケア(ぐりーふけあ、grief care)とは、身近な人との死別を経験し、悲嘆に暮れる人を、悲しみから立ち直れるように支援することである。 グリーフ(grief)とは、深い悲しみを意味する。 遺族に寄り添う姿勢が大切であるとされている。
あ、大切な相手を失った時の悲嘆への支援。。。。
ふと、シャニダール洞窟の事を思い出しました。
かいつまんで申しますと、イラクのシャニダール洞窟でネアンデルタール人の遺骸が見つかり、そこから更に花の花粉も見つかった事から、彼らの死を古代の原人も悼み弔ったのではないか?との説が流れたものです。
コトの真実はともかく、この『ストーリー』は人の心を打つと私は思います。
心の痛みは千差万別であり、そのケアの為のテクノロジーという事なのであれば、なるほど、必要なものでありますね。
反省中・・・・・
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