戦友達へ

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『勝敗は兵家の常』と良く申します。

この『言葉』の真髄は何でしょうか?

前提として勿論、間違いの無い人間などはいませんし、人生というのは何を

やっても『達成出来た、出来ない。』の色々な意味での勝ち負けが有ります。

(ちなみに私は一般の勝ち組・負け組という言葉のレッテル貼りの意味が全く理解

出来ません。不毛なだけかと。)

勿論、ビジネスもですよね。

つまり、現在の我々です。

さて、負けた事への言い訳でしょうか?

それとも、かの言葉は『失敗した』自分を慰める、若しくは言い訳の言葉でし

ょうか?

又は、部外者からの信賞必罰の問題でしょうか?

答えは違います。

では古来からの、この『勝敗は兵家の常』の正しい使い方とはどのようなものでし

ょうか?

先日、笹渕さんがネットか何かの記事を見て私にこう問いかけました。

「代表、夏侯惇は大した戦績もないのに何故評価されるのかって記事ありま
 すよ。」

いい機会です。(その記事など読んでいないし、関係ない。確実に俺の方が深いから。)

昔の中国の物語に三国志演義というのがあります。

創作の物語です。

その物語の中で、ある時、曹操の縁戚の配下の夏侯惇という大将軍が戦に負
けて

「私は此度の戦に負けました。軍法に照らした私を処刑して下さい。」

と、そのボスの曹操という『破格の人』に訴えます。

それに対して曹操は、

「いや、勝敗は兵家の常だ。君は死ぬほどの罪を犯してはいない。」

と言い放ち、夏侯惇が自ら処刑されるために縛った縄を、これまた曹操自ら

ほどきます。

これは物語です。

ですが、夏侯惇は『人物』であるものの、『史実』に戦績として記録に残るのもの

が少ないと『物語』で彼の偉大さを表現するにはこれしか無かったのではないで

しょうか?

一般に我々への教訓として理解されている夏侯惇の評は、「『破格の人』であ

り『人材マニア』であり『戦が達者』である」曹操が自分の本拠地から打って

出ての戦いをする時に『留守を任せられる』人であったのです。

つまり、自分は不在である時に本拠・城を任せることができる大将軍であっ

たのです。

そして、任された本拠・城を決して奪われる事はなく、むしろ曹操が負けてしまった

時に救援を出せることが出来たのです。

今の我々ではそれ(本拠・城)を自分の得意分野ぐらいの理解で受け取って下さい。

そこが三国志演義という物語の上で曹操と対極にされるもう一人の主人公の

『破格の人』劉備の『大将軍』関羽と決定的に違います。

三国志演義では関羽は自分を出しすぎる人で本拠を奪われる人として描かれています。

私が独学でしている歴史学では中華の歴史の継承者は曹操です。

昔、テレビレベルですが二世のスポーツマンが勝負に負けた時にマスコミか

ら「今回の勝負負けてしまいましたが?」と質問を受けた時に

「勝敗は兵家の常ですから、、、、、」

と言った時に、呆れました。

言葉の意味も分からない受け売りの言葉を使った恥かしい言い訳です。

殿も配下も任命責任や、その責務を受けたものを自分の責任と分かりつつ『この将

があってこその我々であり。』『この失敗はまだ、我々の目標に決定的ではない』という時に使うのがこの言葉の真髄です。

『勝敗は兵家の常』とは『彼のものこそが我が分身・我が一翼』と信じた人に

 次のチャンスの為に『慰めでなく』申し渡す。』時にこそ意味がある言葉です。。

信じ合っていても滅んでしまってはこの言葉を使うチャンスも無い。

皆さんは私の『夏侯惇』です。

そして私も皆さんの『夏侯惇』です。

引き続き宜しくお願い申し上げます。

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