最後の近江商人とラストサムライ

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UnsplashIvan Diazが撮影した写真

人間、良く毀誉褒貶と申します。

人の噂や人の評価は只の伝聞に過ぎなかったり、それを語る者の立場からの物言いに過

ぎず、近くで接し直に行動を共にすると他の者にとってはその評価が『全く』当てはま

らないことも、しばしば。

後は、意図的にない事実をあったものとしてタブロイド・老舗を問わず『オールド・メ

ディア』を使ってまで流す輩も多いですな。

インターネットであれば耐性が強い(はずの)自分としては今までは何とかなっていた

のですが、現代は違うようですね。

そう言う訳で、私は初めてお会いさせて頂く方の事を調べたりする事はありません。

中には誰も良い事を言わない方もいますが、そう言う方には流石に近寄らないようにし

ています。

ニュートラルな状態でお会いさせて頂き、自分で判断しないと初手から自分にバイアス

をかけてしまい、折角のご縁を逃してしまいますから。

まあ、それで騙されてしまった事も少なからず有りますw。

 

 

 

 

父、熊谷弘が最初に出馬を決意した時に堤義明さんは絶対反対の立場でした。

そんな折、ある人が父にこうアドバイスしました。

「おう、熊谷。堤さんの朝の出勤はこういう時間で、その時に決まってここを通られ
 
 るからその時・その場所を狙って挨拶をしてみろ。」

当時、若干30代の通産省の不良青年と呼ばれていた父は言う通りにしてみました。

果たして、堤義明さんが歩いてやって来ました。

熊谷弘「堤さん、初めまして。
 
    私、こういう者です。」

と、いきなり挨拶をして名刺を差し出しました。

その名刺を見て初めは訝しがっていた堤さんが驚いたように仰いました。

堤さん「君か!?

    君が熊谷弘、、、、くん、、、、か!?

    また、通産省の一丁上りの年寄りが出馬すると思っていたが、、、、。

    それで俺は絶対反対だったのだが、、、、。」

    君か!?」

熊谷弘「はい。
  
    私が熊谷弘です。」

堤さん「若いなぁ、、、、。

    よし、このまま俺の部屋に来い!」

そのまま、堤義明さんは熊谷弘をビルの最上階の社長室に連れて行きました。

 

 

 

時は流れ、まだ幼い私が父と何かの折に二人で新幹線のホームにいた時です。

熊谷弘「あっ!

    弘太郎!来い!」

と私の手を引っ張ってダダダと物陰に隠れました。

私が、なんじゃらほい?と見ると堤義明さんが一人でホームに立っておられました。

私は何も言っていないのに

熊谷弘「俺にだって顔をいきなりには合わせたくないのもいる、、、、。」

 

 

 

後に熊谷弘はヒラリー・クリントンやディック・チェイニーに

「ヒロシ・クマガイはラストサムライだ。」

と言われるように成りました。

そして私の歩んできた業界だけでなく、他の業界の方々と話している時でも、

「流石は〇〇社、流石は〇〇グループ。

 最後の近江商人、堤義明翁の御薫香がいまだによく行き渡っている。」

と、よく聞かれます。

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