河端照孝 活人剣 その3

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それはまだ私が40代になったばかりの頃。
カミさんとお付き合いはじめの頃の話です。

河端先生に私が初めてお目通りを適ったのがやっと40歳になった年でした。

何回目かに先生から『鉄扇』を頂きました。

私   「鉄扇ですか。
     ありがとう御座います。
     鉄扇ですか。。。。」

先生曰く「弘太郎君。
     君の場合はこう使いなさい。
     ビジネスで交渉をする時にテーブルの自分
     の胸の前に鉄扇を置くの。
『この鉄扇から先の自分の胸の内には一歩たりとも入
 れさせないぞ。』

     とね」

齢四十になってもまだ心と体がバラバラで先生も見かねたのかもしれません。

私はそれから先生から頂いた鉄扇を肌身離さずにいました。

先生のお気持ちも有り難く、またその鉄扇があることによって心の守り方のコツみたいなもの身につけ始めたと思います。

まだまだ修行中ですが。

暫くして、カミさんと私の部屋でダベリングをしている時に、ふと、その大切な鉄扇を自分の鞄にあるか確認した時に要に結んである紐意外を無くしてしまったことに気づきました。
鞄の中には紐だけがあり本体を無くしてしまったのです。

先生に申し訳なく思うのと同時に『お守り』である『自分の心の鎧』を失った事に狼狽しました。

悩んだ挙句に先生に鉄扇を失ってしまったお詫びと無礼ながらお金はちゃんと支払わせて頂くのでもう一度河端先生から鉄扇を頂きたいと申し上げました。

その時の先生のお言葉です。

先生曰く「心配はいらないよ。
     もう鉄扇の守りが無くても大丈夫という天
     のお告げですよ。」

先生の流石のありがたい言葉に感謝と共に、つきものが落ちた様にそれまでの私では出来なかった気持ちの切り替えが出来ました。

その時、鉄扇なしでの心の鎧の維持のコツを掴んだような気がします。

まだまだ修行中ですが。

河端先生には、お会いしてから「弘太郎君」と 呼ばれていましたが最近は「弘太郎」と呼んでいただいています。

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