たった一つの手法に過ぎないものの原理主義者への警告か?

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最近の科学界隈へのその分野の素人以下の人間からの感想です。

まあ、特に目立つ気がしますね。

専門の論文だけを読んで他の観点からの切り込みを許さない人たちにありがちな奴ですわ。

自分の『学問』から通説とか定説と呼ばれるものから違う発想を物言いするとヒステリー状態になると言う連中の化けの皮の剥がれ方です。

アルツハイマーの10年以上前からの多くの予算を呼び込んだ研究が捏造の可能性が出て来ましたね。

アウストラピテクスの化石層は想定より100万年前。

別にそう言ったものに真摯に取り組む姿勢を嘲っているのではありません。

ですが、時に彼らの唾を吐きながら「あなたは分かっていない」との物言いの目つきが所謂「狂信者」的に見える時に危惧を感じるのです。

時にそう言った人々は、例えばご自身たちの保身の為にか間違いを「機械の不具合です。」
「計算の要素の入れ間違いです。」で終えようとします。

ましてや、科学という手法を信奉するのは良いのですが、ご自身の言説が「書物や論文に書いてあった。」もしくは「そう言われている。」「権威的な専門家がそう言っていった。」というのが議論の拠り所という人々はご自身にこちらから接触していないだけで冷笑しているのをわかっているのだろうか?

自分には分からないものはわからないと言った方が良いのでは?という単純な疑問でした。

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