人間、所詮最後は一人(再掲)谷村新司さん。追悼。

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元記事は上。

私にも胸に秘めた『使命』(人様は『夢』とでも言うのでしょうか?私にとりましては言葉の意味合いが違うのです。)があります。

『それ』と真摯に向き合った時に、やはり『人は、最後は一人』としか言いようがないのです。

これを聞いて、信じて頂けないかもしれませんが良い意味で有りまして、『それ』を自身で噛み締める度に前向きになれます。

所謂『本当の自分』に戻れる時ですね。

人様からは一見暗いように見えて、『世の為、人の為、自分の為』の未来に前向きな目つきの鋭い自分です。

そんな『当たり前の人生』の中、更に父のシゴキを受けることが出来る人生の中で、歌の歌詞でも読み間違えると全く理解を間違える事があると自戒したことがあります。

自らに課した使命のために生きる、そのような人生でも大切な『連中』が出来る。

『そいつら』に何かあっても自分が生き残っている限り、戦い続けねばならぬ『人』として当たり前の錘。

人生の戦いが『皆』ある中で『戦友』になった方々、特に自分より年若い方に何かあっても生き続け、戦い続けることの責任。

谷村新司さんの『昴』です。

私は何を勘違いしてしまったのか、『昴』を夢見がちな方が勝手に滅する時の、誤解を恐れずに申し上げると身勝手な自己完結の歌と解釈しておりました。

それ故にシンパシーを感じていた時期も正直ありました。

しかし父からの厳しい(恐らく)最後のシゴキの中で、歌詞の読み取りが違うことを教えられました。

自分はまだ健在ではあるものの、『大切な』若い『昴』が砕け散ってしまった、それでも『我はゆく。』

全く、歌の読解を間違っていました。

父に『昴』を聞かせられながら、

父 「この『昴』が、お前が常々熱っぽく語る、M・
   K・Tだぞ。」

と『解』を明かされた時に、かの歌を聴きながら涙を流してしまいました。

年老いた父のことです。

そのような事はいろいろあったのでしょうね。

いや、父の世代の『親父達の世代』共通なのでしょう。

河端の御師さんも。

しばらくして、この経験からそれなりに思考して出た答えを父に言ってみました。

私 「私にはDNAを持った子はありませんし、それに
   特に何かを思った事はありませんが、私は『私
   の精神的DNA』を引き継ぐ人々の為に生きるこ
   と『も』私の使命と致します。」

父 「それだよ。」

その後しばらくの間ですが、父と毎朝これから『一戦』の前に『昴』を聴いて親子で気合を入れておりました。

あ、これはとても明るい希望のお話です。

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